HISTORY

岩手県奥州市「水沢の南部鉄器」の歴史は、今から900年余前の平安時代末期まで遡ります。

2011年、東北で初の世界遺産となった「平泉の文化遺産」

中尊寺金色堂、毛越寺をはじめとする平泉の栄華を築いた藤原三代。

その初代である藤原清衡が江刺郡(現在の奥州市)豊田城に居城していた頃、近江(現在の滋賀県)より鋳物職人を招き鋳造を行った事が始まりと伝えられています。 

奥州市は、東に北上山地と西は奥羽山脈に囲まれ、中央には雄大な北上川が流れており、これらの自然が「鋳物作り」に欠かせない、鉄鉱石や砂鉄、木炭、川砂を豊富に与えてくれました。更に北上川を利用した舟の運搬で各地へ製品を送ることが出来た事など、まさに奥州市は「鋳物作り」に最適な土地であったと言えます。

江戸時代の頃には仙台藩の庇護を受けて、水沢鋳物は大きく発展を遂げてき、いくつかに枝分かれた工房が点在する集落となりました。

現在、奥州市と盛岡市の工房で造られた鉄器が、南部鉄器と呼ばれています。

南部鉄器「及甚(おいじん)」もその中のひとつで、奥州市の老舗鋳造所へ弟子入りしていた及川甚平が独立を許され、大正元年創業したのが始まりでした。以来、独自の技術と伝統を守り、創業から百年を過ぎ、現在五代目となる後継者が受け継いでいます。

※上記写真ー正面右側に座るヒゲの人物が及甚初代「及川甚平」-